2015年09月28日

「第8 回大間原発反対現地集会」参加報告

7/19(日)に大間原発の敷地に隣接している一坪共有地を会場にして行なわれた「第8 回大間原発反対現地集会」に参加してきました。
この現地集会は大間原発の建設許可が政府からおりた2008年から続けられており、「大マグロック」というロックコンサートと一緒に行なわれています。
今回は前日の7/18(土)に「大間で自由に語ろう〜アーサー・ビナードさんと大間の方たち、そしてみなさん」という学習会・フリートークの場も持たれました。
時間が経ってしまい申し訳ないのですが、以下報告します。

◆「大間原発反対現地集会」のチラシ
https://nonukesooma.wordpress.com/2015/02/11/%E7%AC%AC8%E5%9B%9E%E5%A4%A7%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/
◆「大マグロック」のチラシ
https://nonukesooma.wordpress.com/2015/07/06/%E5%A4%A7%EF%BD%8D%EF%BD%81%EF%BD%87%EF%BD%92%EF%BD%8F%EF%BD%83%EF%BD%8B%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%81%A1%E3%82%89%E3%81%97/

◆全体の構成
・今回の行程
・大間原発反対現地集会の様子
・集会後のデモの様子
・大間原発・東通原発・六ヶ所再処理工場・函館の位置
・大間町はこんなところ
・大間町における大間原発の位置と「あさこはうす」
・「あさこはうす」の写真
・大間原発の概要
・大間原発建設を巡る主な動き
・大間原発の問題点
・大間原発に関する特記事項
・アーサー・ビナードさんのお話


■今回の行程
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■大間原発反対現地集会の様子
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大間原発の敷地に隣接している一坪共有地が、会場です。
青森や函館の方を中心に、約500名が集まりました。
核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会代表の澤口進さんや大間原発に反対する会代表の佐藤亮一さん、函館の大間原発訴訟の会、大間原発に反対する地主の会、原子力資料情報室の方々のスピーチがありました。





■集会後のデモの様子
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集会場から大間市街を通る約3キロを歩きました。
写真は、市街を通り抜けた解散地点でのものです。


■大間原発・東通原発・六ヶ所再処理工場・函館の位置
(原子力資料情報室HPより http://www.cnic.jp/987
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■大間町はこんなところ
大間町は大間、奥戸、材木の3つの集落で構成されているとのことです。

●大間町の概要 (大間町のHPより http://www.town.ooma.lg.jp/
・人口 5,731人・世帯数 2,549世帯・面積 52.06km2

●大間町の特性 (ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%96%93%E7%94%BA
地理的特性上、大間崎からは海(太平洋)からの日出、海(日本海)への日没が望める。


■大間町における大間原発の位置と「あさこはうす」
(「Shut 泊」のウェブサイトより http://japansafe.net/asako.html
大間4.png

・大間町の市街地は、概ね上記の地図の三角形の底辺にあたる国道279号から上部の大間岬までのエリア。そのすぐ左下に大間原発の敷地があります。その敷地は三角形の半分を占めるほど広大で東京ドーム28個分の132万平方キロメートルです。
・しかも、敷地から3キロ以内に役場、病院、消防があります。事故が起これば町の公的機関の機能がマヒしてしまい、町民を助けることなどできないのではないでしょうか。
・上記の地図の大間原発の敷地の真ん中の白い部分は、どれだけ土地買収攻勢をかけられても電源開発に土地を売らなかった熊谷あさ子さんの土地です。
・電源開発の当初の建設計画では、原子炉はあさ子さんの土地から100メートルしか離れていませんでした。
・2003年に電源開発は、原子炉の位置を南へ200メートル移動することを公表しました。
それにしても、炉心のすぐ近くに民間の土地があるという非常識な事態は変わりません。
・その後、あさ子さんはその土地にログハウス「あさこはうす」を建てられました。
・熊谷あさ子さんは2006年に他界され、「あさこはうす」は現在娘さんの小笠原厚子さんが守っていらっしゃいます。


■「あさこはうす」の写真
大間5.png
公道から「あさこはうす」へつながる道。


大間6.png大間7.png
大間8.png

木の垣根(?)の内側に「あさこはうす」があります。
屋根と煙突が少し見えます( 写っている車は、訪問者のものです)。

大間9.png


「あさこはうす」は大間原発の敷地の真ん中にあるので、左右は高いフェンスに囲まれています!



■大間原発の概要(原子力資料情報室編 2014年11月 『原子力市民2014』より)
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■大間原発建設を巡る主な動き(野村保子著 2015年3月 『大間原発と日本の未来』より)
大間11.png



■大間原発の問題点
(函館市のHPより http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031000166/
・福島第一原発事故以前の審査基準により許可され、建設が進められていること
・毒性が強く危険性が指摘されているフルモックス(プルトニウムとウランの混合燃料だけを使用)での世界初の原子炉であること
・大間原発の北方海域や西側海域に巨大な活断層がある可能性が高いこと
・大間原発が面している津軽海峡は国際海峡であり、領海が通常の12海里(22km)ではなく、3海里(5.5km)しかないことからテロ対策をはじめ安全保障上の大きな問題があること
・既存原発の再稼働とは異なり,電力需給の問題を生じるものではないこと
・大間原発では使用済核燃料は20年分しか保管できなく、その処理の方法や最終処分地などが決まっていないこと

上記は函館市が指摘している問題点ですが、加えて「町外につながる道路は2本しかなく、そのうち1本は冬季は閉鎖される。残るもう1本も天候により道路閉鎖がたびたび起こるので、事故が起こったら住民は避難できない」という重大な問題点があります。

■大間原発に関する特記事項
●当初は、ATR(新型転換炉実証炉)だった
◆新型転換炉(ATR)とは
・原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/knowledge/2651
プルトニウムを燃料とし、増殖まではしないが、軽水炉より多くのプルトニウムを生み出すタイプの原子炉。

・ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E8%BB%A2%E6%8F%9B%E7%82%89
新型転換炉は核燃料の多様性を求めて日本で開発された原子炉形式の一つである。将来の発展が期待され、旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)[2]が中心に実用化を目指して開発が続けられていた。
まず1970年に福井県敦賀市に原型炉「ふげん」が建設された。続いて実証炉は青森県下北郡大間町に建設される予定(大間原子力発電所を参照)であったが、しかし、1995年7月、高コストを理由に電力事業者から採用を拒否されたため、実証炉以降の開発計画は全て取り止めとなった。
なお、実証炉の建設費は、1984年には3960億円と想定されていたが、建設拒否が確定した1995年には5800億円と増加していた。

◆結局、建設費が高くなるので電力会社が断った
・青森県庁 http://www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/energy/0001oma.html
この計画は、当初、新型転換炉(ATR)の実証炉を建設する予定でしたが、平成7年8月、原子力委員会により、経済性等の理由からATR実証炉建設計画の中止が決定され、代わりに、全炉心MOX燃料(ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料)装荷可能なABWR1基の建設計画となったものです。その後、平成11年8月には電源開発調整審議会に上程され、国の電源開発基本計画に組み入れられました。

●最初は、大間町にある2つの漁協(大間漁協・奥戸漁協)は反対していた
1985年1月に大間町と電源開発が大間漁協と奥戸漁協に対して原発調査委員会設置のた
めの臨時総会の開催を要求したが、両漁協はそれぞれこの提案を否決した。

●電源開発の漁師、町民の切り崩し
野村保子さんの『大間原発と日本の未来』には、次のように書かれています。
(太字と下線は引用者)
・「地元の反対運動の広がりを懸念した電源開発は、その後町民に対する”切り崩し”に出る。『援漁』といわれるコンブ採りなどの漁の手伝いや、田植えや稲刈りなど畑仕事の手伝いを電源開発社員がしたり、町の季節の行事に電源開発社員が積極的に参加したりした。」
・「電源開発は、”電源開発丸抱えのスナック”を繁華街に用意した。そこで地元の漁師はいつでも無料で飲んで食べることができた。『金がないときでもそこに行けば酒も食べ物もただ。それに慣れて、今度はほかの店で飲みたくなると電源開発に電話して担当者を呼び出し、今酒飲んでいるから来いと言う。電源開発の担当者もすぐにやってきて今度はそこの店もただになるという構図だった。三年くらいそんなことが続いていた』。」
・「人口6000人に満たない大間町では、昔ながらの人の繋がりのなかで助け合い、様々な対立を乗り越えながらそれまでの生活を維持してきた。そのように生きてきた町の人たちが原発問題では立場の違いから言葉を交わすこともなくなり、お互いの立ち位置が見えないまま疑心暗鬼のなかで何年も過ごすことになった。」
・「その頃、漁に出る前、船溜まりで顔を合わせる漁師たちは要らぬ諍いを避けるために原発に対する思いをはっきり口にしなかったという。町の人たちのあいだにも徐々にものを言わない風潮が広がり、自分の考えを口にしない空気が広がっていった。
・長年大間町で大間原発反対運動を続けている奥本征雄さんは、次のように話す。
漁師の人はもうわかっている。原発がだめなのは。金をもらったから何も言えないというだけでなく、漁師には負い目があるんじゃないかと思うんです。反対していた漁師は心のなかで、仲間を裏切って金をもらったことに対して自分で自分を責めて、いまさら何も言えないという思いを抱いているのではないか。金は使ってしまったとい
う事実もある。時間が経ったからといっても、心のなかでその後悔は消えないのではないか/ins>と思う。良心的な人であればあるほど表に出せない思いを抱いていると思う。」

■アーサー・ビナードさんのお話
集まりのタイトルは「大間で自由にみんなで語ろう〜アーサー・ビナードさんと大間の方たち、そして皆さん」でしたが、ビナードさんのお話が長くて他の方が発言する機会はほとんどありませんでした。しかし、そのお話は、素晴らしいものでした。
岩上チャンネルで、全編を見ることができます。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253824
ビナードさんのお話のうち、いくつかの部分を列記します。

・核の本質は、生活者はその被害を受け、権力者はその被害を受けない、死なないということではないか。
・大間原発の電力を誰が必要としているのか?
六ヶ所のプルトニウムのカモフラージュのために大間原発を作ろうとしているのではないか。大間が建たないと、六ヶ所再処理工場の大義名分が立たない。
・核兵器を作らないとすれば、六ヶ所でできたプルトニウムの行き先がない。
・ウランは天然資源なので枯渇する。プルトニウムは人工的に作れて、増殖炉で量を増やすことができるとされている。
アメリカのマンハッタン計画は、プルトニウムを作るための計画だった。
マンハッタン計画の9割は、プルトニウム作り計画だった。
・原発と原爆は、元をたどれば一緒。原爆と原発を分けることはナンセンス。
・燃料サイクルが続く限り、ヒバクは終わらない。
・僕らは風下にいる下々だ。
・自分の使う言葉と自分の立ち位置を組み合わせると、やるべきことが見えてくる。
・大間に立って引き受けるべきことがいっぱいある。

以上
posted by とめよう会 at 14:18| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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